VOL:4 果たして私は「神の手」を持っているのか!?腫れない埋没法の極意とは。
最近、どういう訳か関東や九州から二重の処置を希望される顧客が増えている。
このような遠方から来院する顧客はみな口を揃えて言う。
「ルネッサンス美容外科のふたえ埋没法は、腫れが少ない。」
「ルネッサンス美容外科はふたえ埋没法が上手い。」と・・・。
さらに評判が一人歩きして、
「ルネッサンス美容外科では【神の手】で埋没法を駆使して、どんなまぶたでも腫れずに理想の二重まぶたを作ってもらえる」などと噂されているらしい。
私は天の邪鬼(アマノジャク)なので、上のような評判を聞いても全く以て喜ぶ気にもなれない。
そもそも、私は「ふたえ埋没法」などというものは外科医にとっては言わば「インスタントラーメン」を作る程度の処置だと考えている。「あの人に、インスタントラーメンを作らせたら、右に出る者はいない」と褒めてもらっても喜ぶ人などいないのと同じことだ。ましてやインスタントラーメンを作るのに「神の手」など必要なわけも無く、このような評判に苦虫を噛み潰したような私の顔を想像してほしい。
確かに当院の埋没法の腫れは少ない。でもこれは私が「神の手」などというものを持っているからでは無く、埋没法の適応、不適応をを厳密に分別しているからにすぎない。つまり、私は医学的に判断して二重埋没法に適さないまぶたには決して埋没法を行わないのである。この厳密な分別こそが「埋没法で腫れさせない極意」なのである。埋没法で腫れる一番の要因は、本来埋没法の適応の無いまぶたに、埋没法などという中途半端極まりない処置を施すからである。今にもはち切れんばかりの座布団みたいなまぶたの顧客に「先生、お願いですから絶対に埋没法でお願いします」と勝手に処置方法を指定され、それを断りきれず処置を施してしまったものなら、どんな名医が処置をしたところで腫れてしまうのは当然の結果である。二重埋没法は所詮「簡易的暫定的」に二重まぶたにする処置なのであって、どんなまぶたにでも適用できるような万能な処置方法では無いという事実をみなさんに知ってもらいたい。まぶたの解剖学的形態が、埋没法という簡易的方法で無理が無い場合にのみ適応となるのである。実際、埋没法に極めて適した「幸運なまぶた」の持ち主など20人に1人もいない。もちろん、ある程度の条件が整っていれば、埋没法を適用させることは多い。この場合でもほとんど腫れることは無いだろう。しかし埋没法などでは箸にも棒にも掛からない極めて条件の悪いまぶたに、単に顧客が「二重まぶたの手術(切開法)までは考えていませんから・・・」という理由のもとに埋没法などを安易に提供してしまうから、結果的に顧客も、処置をした医師もお互い不幸になるのである。まあこういう場合、自身のまぶたの形態を冷静に判断せず何が何でも埋没法を要求する顧客にも問題があるし、埋没法の適応は無いと知りながら売り上げを確保するため取りあえず埋没法を提供してしまう美容外科医にも問題があるわけだが・・・。
二重の相談のため美容外科を訪院する際は、埋没法にこだわり過ぎないほうが賢明である。そして、医学的に判断して埋没法に適さないまぶたの場合は、二重の手術(当院ではVOGUE法である)を検討する余地を残しておいてほしい。
二重埋没法程度の処置に「神の手」など要らない。ましてや私は「神の手」などというものは持ち合わせてはいない。自分は「神の手」を持っているなどと豪語する外科医ほど胡散臭い人間はいない。手術が上手い外科医ほど謙虚なものである。ちなみに私が持ち合わせているのは「神の手」ならぬ「孫の手」くらいのものであるが、それは埋没法に適しているかいないかを冷静に判断する能力と良識を持つ「手」だということは自信を持って言える。
VOL:3 美容手術に「向いている人」「向かない人」!?
私が美容外科の手術を行うにあたって、最も重要であると考えていることがあります。
それは、その手術を受ける人が、そもそも美容手術という不必要なものに「より適した人」か「適さない人」かを見極めることです。美容手術を希望される多くの患者さん(もともと病気ではありませんので、患者さんという表現が適切かどうかわかりませんが・・・)は、「美容手術に向き不向きなんてあるの?」と思われることでしょう。ましてや、ご自身が美容手術に「向く」か「向かない」かなんて気づく由もありません。
美容手術を受けるのに「向く」か「向かない」かは、「自分の美」に対しての許容範囲が「広い」か「狭い」かだと考えます。つまり「許容範囲が広い=美容手術を受けるのに、より適している」、「許容範囲が狭い=美容手術に適さない場合が多い」ということです。
このことをわかりやすく説明しましょう。
二重まぶた手術希望のAさんとBさんがいたとします。二人とも一重まぶたで、二重まぶたを希望しています。Aさんは特別な希望はなく、人から見てきれいな二重になればいいという漠然とした希望で、Bさんは「芸能人の○○ちゃんのような二重まぶたがいい」というかなり限定された希望があります。手術の結果二人ともきれいな二重まぶたになって帰られました。後日、AさんとBさんに二重になった感想を聞きました。
Aさんは大満足で、手術をして良かったと言いました。一方、Bさんは深刻な顔で「あと0.1mm二重の幅が広くないとアイドルの○○ちゃんのような目にならない。○○ちゃんの目にならないんだったら手術しなきゃよかった・・・。」とせっかくきれいな二重になったのに喜ぶどころか逆に悩みが増えてしまいました。
ここで、おわかりでしょうか。つまりこの場合、AさんのほうがBさんと比べ「美容手術向き」のタイプの人であり、BさんはAさんに比べ「美容手術向きでない」タイプの人なのです。0.1mmの幅の違いを、大きいととらえるか些細なものととらえるかにもよりけりでしょうが、一般論からするとその違いは他人には全く気づかない程度のものでしょう。その自分だけにしかわからない価値観や美意識をあまりに追求しようとする人は、自分の感性と術後の仕上がりが「完全に一致」しないかぎり、永遠に満足感を得ることはないでしょう。そもそも実際問題として術後の仕上がりが理想と「完全に一致」するなんてことは絶対にありません。
自分の求める美しさにある程度の許容範囲を持つこと、言い換えれば、自分に合う美しさは決して一つだけではないという意識を持つということが美容手術で後悔しない秘訣なのです。
VOL:2 美容医療に「魔法の杖」はありません。
こんにちは、ルネッサンス美容外科院長の曾我部です。みなさんは「美容外科治療」と聞けばどんな治療が思い浮かびますか。二重まぶたの手術、鼻を高くする手術、脂肪吸引、豊胸術・・・きっと様々な治療を思いつくことでしょう。
昨今、テレビのバラエティー番組などで美容外科が取り上げられる機会が増えたため、美容外科手術の経験のない人でもある程度の治療法をご存知のことと思います。美容外科手術というものが決して特別なものではなく、「老い」や「コンプレックス」を改善させ、「クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)」を高めるための手段として利用できるということを、多くの人たちに知っていただけたとしたら、とても良いことだと思います。ただ、こういった番組で取り上げられるのはあくまでも、「ビフォー」と「アフター」のみであり、その途中経過が正確に伝えられていないことが多いように感じます。そのため巷では(特に若い人のあいだでは)美容外科手術では「メス」のかわりに「魔法の杖」を使っていると考えている人もいるのではないでしょうか。笑い話のようですが、「明日海水浴に行って水着になるので、それまでに痩せないといけないので今から脂肪吸引してもらえませんか?明日までには間に合いますよね。」なんていう相談もありました。(笑っていただけましたか?ここで笑えない人は魔法の杖の存在を信じておられる人かもしれませんね。)
手術ですから、手術後の経過の途中には、当然のことながら大なり小なり「腫れ」や「痛み」はあるものです。しかし「病気の治療はたいへん」だけど、美容外科の治療は「エステ感覚」で受けられるものと思っている人が少なからずいるのではないでしょうか。美容医療を受けていただくためには、まず治療についての正しい知識が必要です。つまり手術の方法や術後に予測されうるダウンタイム(社会生活を送るのに不都合な期間)を知って、計画的に治療を行わなければなりません。
私は、患者様がカウンセリングでお越しの際に、申し訳ないことではありますが患者様を喜ばせることは一切話しません。患者様の相談に適した処置、またその代替案を提案します。処置方法、手術方法、処置、手術後に予測される経過、処置後の問題点、カウンセリングではこういった内容を中心に説明しております。美容外科に限らず医療におけるインフォームド・コンセントには、「純粋なる客観的事実」と「確率論的な予測」しか介入する余地はなく、患者様を喜ばせるような楽観的予測や希望的観測は存在しないのです。
美容医療には決して魔法の杖はありません。美容外科医を選ぶ時も、甘言に惑わされることなく、正確な情報を与えてくれる医師を選びましょう。
以下は私の名言(迷言?)です。
「美容外科医は治療の前に喜びは与える必要はない。
喜びを与えるのは、治療の後だけで充分である。」
VOL:1 二重埋没法という処置を今あらためて考える。
みなさんは、「二重にする処置」と聞けばどんな処置を思い浮かべるであろうか。ほとんどの人が「二重埋没法」と答えるのではないか。では質問を変えて、「二重の手術」で思い浮かべるのは何か。これもほとんどの人が「二重埋没法」と答えるであろう。
この「処置」と「手術」では実は大きく意味が異なる。「手術」という単語を辞書で調べてみると「医者がメスなどを用いて、患部を切開したり切断、摘出したりして回復させる治療法」とある。ということは「二重埋没法」は、表面から糸を通しているだけの「処置」であり手術では無いということになる。歯科治療を一般的に手術と呼ばないことに等しい。昨今、「二重埋没法」が一般の人にあたかも二重にする手術、さらには優れた手術法のような印象を与えている現在の美容医療業界の体質に、私は極めて強い不快感を感じずにはいられない。
ではまず始めに、「二重まぶたにする方法」について正確なことを知っていただこうと思う。
埋没法
二重にするための一時的な処置である。手術では無く、糸を上眼瞼皮膚および眼瞼結膜から埋入させることにより上眼瞼の解剖学的構造を変えることなく、二重まぶたにする処置法。眼瞼の構造を変える手術では無いため、基本的には永続性を得られることはない。持続期間は、まぶたの構造に依存し、数ヶ月で消失することもあれば長期間維持できることもある。
二重にする手術(いわゆる切開法)
二重の永続性を実現することを目的としたり、整容上の理由で上眼瞼の形を変える手術。二重にする内部構造を上眼瞼に作るため永続性の高い方法であり、余剰な上眼瞼皮膚、脂肪組織も切除することができるため、埋没法では得られない様々な二重を形成できる自由度の高い方法である。消失する率は埋没法に比べ遥かに低いが、目的とする組織が癒着しなければ消失することもあり、必ずしも消失しないことを確約して行う方法ではない。
つまり二重埋没法は手術ではなく一時的な処置にすぎないのである。二重埋没法は、各施設により様々な方法が広告等で盛んに宣伝されてはいるが、どの方法も解剖学的構造を変えないという点に関しては共通である。むしろこの解剖学的構造を変えないということが埋没法の医学的定義と言えるであろう。当然、解剖学的構造を変えない以上、柔らかい組織の中に埋入した糸などは、しばらくの間は機能するかもしれないが、そこに永続性を期待できるようなものではない。
よく、顧客から「なぜ埋没法で溶けない糸を掛けているのに二重が消えるのか?」という質問を受ける。たぶんこのあたりが、顧客にとってわかりにくいところなのであろう。多くの顧客は、埋没法の二重が消えた時は、掛けている糸が切れたから重瞼線が消えたと誤解している。もちろん糸が切れた時には、二重は消えるだろう。しかし、実際には、この糸が切れることなどきわめて稀なことであり、埋没法の二重が消える原因としては無視できる頻度の事象なのである。消える原因はそんなことではない、もっと簡単な理由である。上述したように、瞼の中の組織は「柔らかく」かつ「脆弱」なのである。使用する素材がいくらしっかりしていても素地が弾力性をもった柔軟な組織である以上、長期的に確実な機能を維持することはできない。ぬかるみの上にいくらしっかりした建物を造ったところでめり込んで傾いてしまうと言えばよく理解してもらえるかもしれない。埋没法という処置方法は、"条件が良ければ"長持ちする可能性はある・・・というだけのものなのである。
埋没法は医師の些細な気の配りかたで、処置後の腫れの程度は全く変わってくる。処置後1ヶ月も腫れさせてしまう医師から、ほとんど腫れを残さず処置を行う医師もいる。使用する局所麻酔の量、まぶたをいかに愛護的に扱うかどうか、顧客を緊張させず目元を力ませないかどうか、腫れさせない要素はこんなに些細なことなのである。
もちろん腫れぼったいまぶたの人に埋没法を行えばどんなに丁寧に扱ってもそこそこ腫れるのは当たり前である。私が埋没法をしてあまり腫れさせないのは、本来埋没法の適応ではない腫れぼったいまぶたの人には行ってないからである。そのようなまぶたの人に「切るのは絶対いやなので、なんとか埋没法で二重をお願いします!」と言われても「二重にはなりますが、腫れますし、仕上がりはぼちぼちというものしかできませんよ。美しいまぶたを望むなら埋没法でなく二重の手術を受けてください。」と答えている。
しかしなぜ多くの二重を望む女性が、二重の手術、言い換えれば「切ること」を嫌がるのか私にはわからない。解剖学的に本来の二重にいかに近い構造を作成できるかどうかが、二重の「美しさ」或は「自然さ」の鍵である。二重を希望する女性は、美しい二重、美しい目元を求めているのではないのか。私は何も切りたくて二重の手術を勧めているわけではない。単に切ったからといってそれだけで二重になるものではない。まぶたの皮膚の下に二重にするための構造を作るから二重になるのである。そしてその皮下組織を操作するためには、その手前にある皮膚は切らなければそこにアプローチできないから切るだけのことである。内蔵に腫瘍ができ、それを切除するためには皮膚を切ってアプローチするしかないことと同じである。別に切ることが目的ではないので二重の手術を「切開法」と呼ぶこと自体に問題がある。世の中にわずかでも切らずに行える手術法などなく、このことで言えば病気の治療の手術を含めすべての手術は切開法ということになってしまう。これは本来の目的が手術名称に出てこないおかしな手術名である。どこかの美容外科医が「切るから切開法」などという安易でお粗末な名称をつけたおかげで、二重を希望する人の意識が「切る、切られる」ということだけにに集中してしまい、「切る」=「痛そう、怖そう」という無用な不安だけを植え付ける結果となっているのである。これが、多くの女性が二重の手術を敬遠する原因であると言い切ってもあながち的外れでは無いと思う。別に、切った部分が明らかな傷になるわけでもない。私に言わせれば埋没法の二重のほうがいかに不自然なことか。埋没法では仕上がりには限界があることを、埋没法の処置を希望される人にはしっかり理解して欲しい。
二重の手術を頑なに拒否する顧客の多くは、判で押したように「でも切れば、いかにも二重の手術をしましたっていう目になるんですよね。」ときり返してくる。これは甚だ大きな誤解である。世の中には美容外科手術にまつわる「都市伝説」は多いが、この話も私の中では「都市伝説」に殿堂入りしている。鼻筋を高くする目的で埋入するプロテーゼはブラックライトで光るからディスコに行けば手術していることがばれてしまうらしい・・・とか、整形手術を受けると年をとったらくずれてくるらしい・・とか、ほくろを取ると運勢が変わってしまうからやめた方がいいらしい・・・などなど、美容外科手術に関するこの手のいかがわしい「都市伝説」は枚挙に遑が無い。二重の手術をすればいかにも手術をしましたという目になると疑わない人は、他人からそのような「都市伝説」を聞いて真に受けているか、たまたま二重の手術を受けた人の目を見てその人独自の美的感覚として「いかにも」と思っただけのことであろう。もちろん、不幸にもたまたま二重の手術が下手な医師に手術をしてもらった場合はそういったこともあるかもしれない。それが「いかにも」という根拠であればその人は不幸である。生まれて初めて食べた中華料理がたまたま不味くて、それ以来中華料理は不味いと思い込んでいるのと同じくらいその人は不幸である。上手い中華料理を一度でも食べれば、それ以来変な思い込みは無くなるものである。まあ、中華料理の話はどうでもよい。そんな不幸な人は、二重の手術がどれだけ自然であるかということを知って頂くために一度当院を訪れてみるとよい。当院の受付は全員、私が二重の手術をしている。もちろん埋没法ではない。手術による二重がどれほど自然で美しいか、傷跡が残っているかどうか、ご自身の目で確かめてみるとよい。たぶん、二重の手術を受けたくなるはずである。別に「だから当院で手術を受けなさい」などと言うつもりは全くない。事実を認識してもらいたいだけである。世の中には手術が下手な医師が星の数ほどいるという事実がある一方で、実は手術が上手い医師も星の数ほどいるのである。その後者に二重の手術をしてもらえばいいだけのことである。
二重の手術は、埋没法に比べて完成度の高い、極めて自然な二重ができるという事実を認識して欲しい。その逆で埋没法はあくまでもお手軽な簡易法であるため、適応度の低い人が無理に受けると不自然な二重しか得られないということである。埋没法を受けて仕上がりや持続性に十分に満足されている人は、単にその人のまぶたが埋没法に適していたということを意味するにすぎない。しかし初めて二重の処置を検討している人には埋没法はある意味よい処置法かもしれない。なぜなら、医師が作った二重が必ずしもその顧客に受け入れてもらえるとは限らないからである。二重が気に入らなければ糸を抜いてしまえばもとにもどせる。試着を一度もせずに高価な服を買う人はあまりいないだろうが、二重埋没法は丁度この試着のようなものであると考えて欲しい。この埋没法という「試着」でなんとなく二重のイメージをつけてもらって、それが気に入れば、次の機会にでもきっちりとした二重の手術を受ければいいのである。ずっと二重で過ごしたい、あるいはもっと美しい二重にしたいと考えるならば二重の手術を受けるしかないのだ。世の中、簡単・お手軽なものに何一つ優れたものはない。手術では余剰な皮膚や眼窩脂肪を切除したりして手間隙かけるからこそ埋没法では得られない自然さで美しい二重ができあがるのだ。わざわざお金と手間隙かけて作った二重が「いかにも」であれば、二重の手術の存在意義は無いということになる。こんな馬鹿な話は無い。
埋没法であるかぎり、どんなに手を変え品を変えても結果は似たようなもの、どんぐりの背比べである。こんなことを言ってしまえば、埋没法の研究に情熱を注いでいる一部の諸先生方からお叱りを受けそうであるが、所詮埋没法は埋没法である。インスタントラーメンをどんなに頑張って工夫しようが美味い店屋のラーメンになることは無い。私は埋没法はこれと同じことだと思う。真剣に美容医療を考えるのであれば、美容外科医はもう少し合理的な発想で二重手術を見つめ直すべきである。外科医が外科医たれる時間は少ない。私の場合、埋没法の研究に大事な時間を費やすほど暇な人間ではない。
よく他院にカウンセリングに行った顧客から「私は埋没法では何点固定が必要でしょうか? 別の美容外科では『あなたの場合3点、いや4点は必要だ』と言われました・・・」などという質問をされる。その医師が何を根拠に3点やら4点必要と判断したのか、私は理解に苦しむ。きっとその医師は副業で占い師でもしているのであろう。その医師にすれば「それは美容外科医として長年の経験での判断です」とでも言いたいのかもしれないが、そんな表面から見ただけで簡単に判断できるようなものではない。埋没法で二重にする場合、その消えやすさに影響を与えるパラメーター(変数)は極めて多い。腫れぼったさ、瞼のくぼみの程度、皮膚のたるみ具合、皮下組織の脆弱性、上眼瞼挙筋の筋力、糸に対する異物反応の強さなどなど、これ以外にもパラメーターはわんさかある。そのパラメータがお互い複雑に絡み合うわけで、本当に消える確率を求めようとすれば、卓上のコンピュータなどではじきだせるようなものではなく、それこそ地球と小惑星のコリジョンコースを計算するくらいのシステムが必要かもしれない。そんな想定不能な埋没法の消えやすさを、即時に計算して「2点ではダメですが3点掛ければ安心ですよと。」と言えるくらい私も賢い頭で生まれてくればよかったとつくづく思う。根拠もなく3点、4点などと言っているのであれば、それは既に医師ではなく、まったく「裏な医師=ウラナイシ」である。つまり医学も当たるも八卦、当たらぬも八卦というところか。そんなに糸をたくさん掛ければ、たかが埋没法でもポンポコリンに腫れてしまうではないか。「二重埋没法のメリットは腫れが少ないということしか無い」のである。何点で固定しても所詮誤差の範囲であろう。先のたとえ話で言うと、ぬかるみの上に家を建てるのに柱の本数を増やせば倒れなくなるというのか。まったくピントはずれもいいとこである。だいたい、1点固定やら3点固定だのあるクリニックで1点固定でも良いと言われることはまずあるまい。当然1点固定より2点固定、2点固定よりは3点固定をすすめるほうが金にもなる。3点4点で固定しても消えれば次は「あなたの場合は5点いや6点が必要だ」と言われるに違いない。さらにお金が必要になる。何点で固定しても誤差の範囲だと当の医師もわかっているはず。わかっちゃいるけどお金になる商売方法なので止められないのであろう。情けない話である。まあ100点固定でもすれば、多少状況が変わるかもしれないが、腫れが少ないことだけしかメリットの無い埋没法でポンポコリンに腫れたとあっては本末転倒もいいとこである。それであれば、最初から二重の手術を受けてればどれだけ良かったか。何度も繰り返すが埋没法という簡易法の唯一のメリットは腫れが少ないということのみである。もちろん埋没法に適したまぶたの人で、埋没法が長期間持続しているケースもある。しかし埋没法でどんなまぶたでも消えない二重を目指す研究・努力は、私に言わせれば鉛を金に変える研究をする中世の錬金術となんら変わるところはない。































